教主・
幼い頃、母親から法華経のお経典を授かったのが宗教との出会いでした。教主は、その後も様々な教えを学び実践しました。そして、お経典の内容から「一切大衆を救う真実の教えが説かれる時節がまもなく到来する」ことを悟ります。
第二次世界大戦を経験し、戦争の悲惨さと虚しさを痛感した教主は、それまでの事業を解散し、「これからは、国のためとか、家族のためとかではなく、生きとし生けるすべてのもののために尽くしていく」ことを決意します。
始めのうちは「大衆を救う教えを説く人に出会いたい」と願っていた教主でしたが、やがて自身に真実の教えを世の中にあらわす役があることを悟り、その準備に入ったのです。
過去にインドの釈尊が『
以来、40余年の長きにわたり、幾多の困難を乗り越え、佛様の住所と言われた各佛所(当会施設)を建立し、真実の佛法をもって社会を善導すべく道を切り開いてきました。
昭和56年に王舍城美術宝物館(現、海の見える杜美術館)を創設。
教主は「美術品は私有すべきものではなく公のものとすべき」と万人のための美術品収集をモットーとしており、近代日本画を中核とした内外の美術品などに研究を加え、順次公開してきました。
教主は、原爆投下後まもなく広島の地を訪れ、足もとに残っていた路面電車の敷石を、いつか平和のために役立てようと思い立ちました。
後に、被爆した敷石に観音像と「FROM HIROSHIMA」の文字が彫り込まれ、「ひろしま・祈りの石(Stone for Peace)」が完成し、NGO団体「ひろしま・祈りの石の会」へ寄託されています。
教主は「私はお経から外れたことは一切しない。一歩でも外れたら梅本個人の教えとなり御証明もなくなる」と、常々、口にしていました。
お経の一節に『